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ゆっくり行けば、遠くまでいける

2007年11月05日 12:12

少し前に、テレビとハードディスクレコーダーを買った。
前に使っていたテレビはおそらく15年くらい使っていたのだが、あるとき突然「プツッ」という音をたてて、電源すらまったく入らなくなってしまったのだ。
古い友人の最期は、何の前触れもなく、潔く、完璧に寿命を終えたという感じだった。

唐突に画面が暗くなれば、電源ボタンをカチャカチャと押してみたり、コンセントを抜き差しするなど、一通りのことはしてみるが、「プツッ」という音を聞いた瞬間から何をしても無駄であることは感覚的に分かっていた。
潔く、完璧に終わるとはそういうことだ。

そして、翌朝すぐに電気屋へテレビを買いに行った。
じつは、私はテレビが大好きなのだ。
「テレビなんかを観るより、一日中ジャズを聴いていたい」という人に一度なってみたいものだが、そんな素質も、素養も私にはまったくない。
眠くなるまでテレビやDVDをだらだら観る。
それがもっとも私らしいスタイルだ。
そんなわけで、テレビが壊れたら、翌朝にはテレビを買ってこなければならない。
そのとき、ついでにハードディスクレコーダーも買ってしまったのだ。
そして、ひとたびハードディスクレコーダーを使ってみると、先人たちの言っていたことがリアルに理解できる。


ハードディスクレコーダーを手にしてしまったら、ハードディスクレコーダーのない人生なんて考えられない。


まあ、たいした格言ではないが、真実は真実である。
今までは「家にいなければわざわざビデオに撮るまでもないか」と思っていた番組でも簡単に予約録画ができてしまう。
言うまでもなく、ビデオを入れ替える手間もない。
ただでさえテレビ大好きの人間にそんなものを与えてしまったら、中毒になるのも時間の問題だ。
ダラダラとした時間が、果てしなく続くのではないかという恐怖すら覚える。
しかし、テレビを観るのも悪いことばかりではない。
それほど多くはないが、たまには誰かが、何かしらいいことを教えてくれる。


深夜にやっている「トシガイ」という番組をご存じだろうか。
年齢×1万円(30歳なら30万円)のお金を番組が用意してくれて、それを自由に使うという内容の番組。

まさに、「わざわざ観るほどではないが、ほかに観るものがなければ観る」というタイプの番組だろう。
つまり、そんな番組をつい録画して、観てしまうというわけだ。

先日のゲストは、パンツェッタ・ジローラモさんだった。
“ちょいワル”でも話題になったイタリア人である。
45歳のジローラモさんは、45万円というお金でカヤックを買い、下田の海をゆっくりと漕ぎ、海、岩肌、太陽を存分に味わっていた。
以前、私は四万十川でカヌーを漕いだことがあるが、それもすばらしい体験だった。
水面に近い目線というのが、新鮮で、刺激的だったのだ。
ジローラモさんも、水面から眺める夕日にとても感動していた。

そして番組の最後に、ジローラモさんは「イタリアにはこんな言葉がある」と言って、ある言葉を紹介した。

ゆっくり行けば、遠くまでいける。

なんとも柔らかくて、無理のない、勇気づけられる言葉である。
世の中には、急がなければたどり着けない場所がたくさんある。
早く到達すればするほど、高く評価される場面も多い。
だからこそ、「もっともっと遠くへ行きたいときはどうしたらいいのだろう」と悩むこともある。
そんなとき、ついアクセルを踏んで、ペースを上げようとしてしまうが、本当に必要なのは、まるで違うアプローチだったのかもしれない。

ゆっくり行けば、遠くまで行ける。

また1つ、忘れられない言葉が増えた。
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分からない会話と分かり合う二人

2007年11月03日 00:16

電車に乗って、ドア付近の座席に座っていると、目の前に若いカップルが立った。
男のほうは22歳くらいで、女のほうは20歳くらい。もちろん、勝手な憶測だが、要するに「高校生ではないな」という感じの若いカップルである。
私は疲れていて、少しウトウトしかけていたのだが、その二人の会話が始まった途端、眠気は完全になくなった。
その一部始終をここに再現しよう。

男 「さっきの話だけどさぁ、夢にヘンなの出てくると、誰かヤバイらしいよ」
女 「うっそ、それマジ?」
男 「マジマジ」
女 「あっ、でもそれ聞いたことある」
男 「だろッ」

じつに短いやり取りだが、つっこみ所は満載である。
二度見(にどみ)どころか、三度見、四度見したくなる会話だ。
まず、男。
「夢にヘンなの出てくると・・・」って、いっったい何が出てくると問題があるっていうんだ!
“ヘンなの”って、どんだけ曖昧なんだ。
そもそも“ヘンなの”とは、エイリアンみたいな化け物のことか、音信不通の友人の姿か、微妙に失敗したオバさんパーマのことか、あるいはそのすべてなのか。
そんだけ曖昧な情報で、よく「さっきの話だけどさぁ」って、ぶり返したな。
と言いたいころはいろいろあるが、、本当の問題はそこではない。
まあ、“ヘンなの”は曖昧なまま、ゴクリと飲み込むとしよう。

だが、その後の「誰かヤバイらしいよ」とはなんだ。
また、曖昧かよッ! 曖昧ダブルかよッ!
仮にもともとの情報が曖昧だったとしても、わざわざ話題に取り上げるなら、「誰か」くらい適当にねつ造しろ。
実際、そこはなんだっていい。家族でも、親戚でも、友人でもいい。
下手に「歳の離れた妹」とかにすると、「そんな妹いないよ」ということになって、話が終わってしまうから、そこは一般的なものを適当にもってくればいいだけの話だ。
そういうのは、ウソとは言わない。
じつに妥当な演出という。
ところが、彼はそれをしない。「誰かヤバイ」で押し切るのだ。

しかしそこで、「誰かって、誰だよ!」と彼女がつっこむなら、私も安心して眠ることができる。
だが、彼女のリアクションは「うっそ、それマジ?」だった。
おいおい彼女、いったいどこにビックリしたんだ。
「ヘンなの出てきて、誰かヤバイ」って、そんなフワッとした情報じゃあ、怖がりようがないだろ。
私はもう少しで、立ち上がってつっこみそうになる。

だが、会話は終わっていない。
彼が「マジマジ」と応えた後、彼女は「あっ、でもそれ聞いたことある」と言ったのだ。

じゃあ、なんでさっき驚いたんだッ!
フワッとした情報で驚いておいて、ホントは知ってたんかいッ!

そして、男は「だろッ」ときた。
何が「だろッ」だよ。どこに「だろッ」だよ。「だろッ」で会話成立かいッ!

と、体中でつっこみたいところだが、当の二人はなんの疑問もなく、分かり合っている。
私から見れば、異次元のコミュニケーションでも、彼らにしてみれば、とてもしっくりと何かを共有しているのだ。
きっと、分かり合うとは、こういうことなのだろうと、妙にしみじみとしてしまう。
とかく私のようなタイプは、自分の言葉が相手に伝わらないと、より理路整然とした話で相手に伝えようとするが、そんなことをしても無駄なのだろう。
そんなことをはるかに超越したところで、分かり合える人と、そうでない人に区別されてしまっているのかもしれない。

その後、その二人はどこかへご飯を食べに行くらしく、「何が食べたいか」という話を始めた。
しかし、気がついたら、昔作ったクッキーがいかに不味かったかを爆笑しながら、彼女が彼に説明している。
本人が爆笑している話ほど、笑えない話はないと私は思うのだが、
彼も笑いながら「マジ、それありえね~」とか言っている。

いったい、彼らはこれから何を食べるのだろう。
ふとそんなことを考えてみるが、それを心配するのは私の役割ではない。
きっと、とんでもなく不味いクッキーの話をしながら、ちょっとおいしいチェーン店のラーメンでも食べるのだろう。

それも悪くない。
それどころか、けっこういい感じではないか。
もし私が神様なら、彼らのような二人を幸せにしてやろうと思う。