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ライ麦畑から、長いお別れ

2007年03月13日 10:16

「やれやれ、今度は僕の番か・・・」
「そんなに落ち込むことはないさ。それが名作の宿命というものだ」

そんな会話が聞こえてきそうな展開である。
会話をしているのは清水俊二と野崎孝。
チャンドラーの「長いお別れ」とサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」の翻訳者たちである。


というのも、最近村上春樹訳の「ロング・グッドバイ」が発売された。チャンドラーの名作が翻訳されなおしたというわけだ。

最初に断っておくと、私は村上春樹のなかなかのファンである。
そのため、村上春樹の文章や文体をひいき目で見ていることは間違いないだろう。
そんな事情もあるので、村上訳の名作が登場すると、やっぱりうれしいのだ。

とはいえ、「ライ麦畑でつかまえて」というのは、とてもセクシーなタイトルなので、本屋で見つけたら一目で恋に落ちる。
実際、私も中学時代には「ライ麦畑」に恋をした。
即決で「ライ麦畑」を買い、読み始めたのだ。
しかし、残念ながら読み終えることはできなかった。

何が悪かったのかは、わからない。
中学生の私は、読解力も感受性も不足していただろうし、おまけに根気もなかったのだろう。
頭もボウズだったし、万引きでつかまりそうにもなった。
だから、「ライ麦畑」が読めなかったのに違いない。


そして、高校時代。
私はもう一度「ライ麦畑でつかまえて」に恋をする。
本屋でタイトルを見て、「つかまえちゃってぇ~」と思ったのだ。
家のどこかに以前買った「ライ麦畑」があることがわかっているのに、その場でもう一度「ライ麦畑」を買ったのだ。

恋は盲目というやつである。

しかし、二度目の恋も破れてしまう。
中森明菜は「恋も二度目なら~」と歌っていたが、
私の失敗を指摘していたわけではないだろう。

とにかく、「ライ麦畑」が読めない理由はわからない。
読み続けるだけの、ガマンが足りなかったのだろうか。
そもそも、読書にガマンは必要なのだろうか。
ガマンして、付き合い続ける二人に明るい未来は訪れるのだろうか。
明るい未来ってなんだろう。

そんな疑問が渦巻いているばかりで、二度目の恋は終わってしまった。


そして、2003年。
村上春樹訳「キャッチャー・イン・ザ・ライ」が発売された。
そのときは、神様がこう言っているように感じられた。

何度チャレンジしたって、「ライ麦畑」はオマエには無理だ。

結局、神様の言うとおりだった。
何度チャレンジしたって「ライ麦畑」は読めなかったのに、
村上訳「キャッチャー・イン・ザ・ライ」はすんなりと読めたし、非常におもしろかった。
「ライ麦」を翻訳した野崎さんには申し訳ないが、本当におもしろかったのだ。


そして今年、チャンドラーの名作「ロング・グッドバイ」(村上訳)が発売された。

「ライ麦畑でつかまえて」と違って「長いお別れ」は読破した経験がある。
しかし、誰もが絶賛するような名作にもかかわらず、かなり苦労したこと以外はほとんど覚えていない。
正直言って、フィリップ・マーロウというセクシーな探偵が出てくることしか覚えていないのだ。

もちろん、名作と言われている作品が必ずおもしろいというわけではない。だから、「長いお別れ」がおもしろくなくたって、まったく不思議じゃない。

ところが、今私は「ロング・グッドバイ」を非常に楽しく読み進めている。
これまた、「長いお別れ」を翻訳した清水さんには申し訳ないが、本当に楽しいのだ。

もう一度言う。
私はあきらかに村上春樹をひいきしてる。
私のように、村上訳になった途端に楽しく読めるようになったという人もいるだろうが、それも村上びいきに起因しているに違いない。
と、せめてものフォローをしたい。

時代が変われば言葉が変わるのは当然である。
何十年、何百年前の人と話すより、同世代(あるいは同時代)の人のほうが、スムーズに楽しく話せるに決まっている。
だから、新訳が読みやすいのは当然だ。


と、くどくど述べてみても、言いたいことはひとつしかない。
やはり、村上訳はすばらしい。

「ライ麦畑」と「キャッチャー」
「長いお別れ」と「ロング・グッドバイ」
を読んだ人がいたら、ぜひ感想を聞かせて欲しい。
そしてもし、私と同意見の人がいたら、どこか静かな場所で小さな声で語り合いたい。
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