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雷のタイプと実力について

2008年08月06日 11:18

最近の雷は本当にもの凄い。
ピカッと光ったかと思ったら、ドッカ~ン、バリバリ~と地鳴りのような音がやってくる。

遠くでゴロゴロとやっている奴らはかわいげがあるが、ドッカ~ン、バリバリ~なんてやられると、近所でクーデターでも勃発したかのような不穏なムードが漂う。

家で仕事をしていても、誰かとミーティングをしていても、いちいち集中力が切れてしまうほどの凄まじさだ。
そりゃそうです。
近くでクーデターが起こっているのですから、悠長にパソコンをパチパチやったり、「今度の本の構成はどうしましょうか?」なんて話をしている場合ではなくなってしまうのだ。

しかし、こう連日すごい雷がやってくると、「ああ、地球は変わってしまったんだなぁ」と思う。

穏やかで、優しかったゴロゴロ君たちはいったいどこへ行ったのだろう・・・
と昔の友達を懐かしむみたいに、ちょっと切なくなる。

だいたい、ドッカ~ン、バリバリの連中には上品さが足りない。
そもそも私は平和主義者だし、過激なタイプとは昔からあまり馬が合わない。
過剰に大声で話すヤツとか、シャツのはだけ方がワイルドすぎるヤツとは、できるだけコミュニケーションをとらないようにしている。

経験的に言って、そういう連中の話は、本人たちが思っているよりもおもしろくないことが多い。
それでいて、「つまんね~よ」という雰囲気を漂わせると途端に不機嫌になる。
要するに、めんどくさい連中なのだ。

その点、遠くでゴロゴロ~と言うくらいの人たちは、謙虚で、聡明で、すがすがしい。
線路を隔てた反対側のホームで、控えめに手を振っている小柄な美人を思い出して欲しい。
その美人こそ、遠くでゴロゴロとやっている雷である。
じつに奥ゆかしくて、品がある。

人間も、雷も品性を失ったらおしまいです。


それはそうと、最近の雷を見ている(あるいは聞いている)と、「地震・雷・火事・親父」というのは、本当だなと感じるようになった。

これまで私は「地震や火事に比べて、雷はぜんぜん怖くないよ」と思っていた。
(ちなみに、この四天王のなかで親父は番外だと私は位置づけている。親父の怖さについてはいろいろと語りたいのだが、それはまた別の機会にしよう)

雷は、地震や火事のように一度に大量の人を傷つけたりしないし、室内にいれば基本的に安全である。
家で寝ているときに、理不尽に襲われる心配はないのだ。

この差は決定的だ。
この差が埋まらない限り、雷なんて地震や火事の比ではない、と思っていた。

その認識に変わりはないのだけれど、最近の雷には「おとなしくしてりゃ、危害は加えねえが、下手にうろついたら容赦しねぇよ」という妙な凄みを感じる。
グッとにらみを効かせるだけで、その場を制圧してしまうマフィアのドンみたいなものだ。

やっぱり、恐怖の四天王に数えられるだけあって、雷さんもなかなかの腕前だったというわけだ。

しかしまあ、腕前は認めるけれど、私はやっぱりゴロゴロ君みたいな上品で、穏やかなタイプのほうが遥かに好きだ。


ところが、雷の親戚である台風については、まったく違う見解を持っている。
過激な雷は好きになれないが、激しい台風はけっこう好きなのだ。

じつは、「激しい台風好き」は意外と多いのではないだろうか。

その人たちと雷の品性について語り合ったことはないが、きっと「過激な雷」は「激しい台風」ほど好意的には思っていないはずだ。

説得力のある理由は見つからないけれど、やはり雷は穏やかで、台風は激しいほうがいい。
これは、どういう嗜好性なのかな。
昼は淑女で、夜は娼婦みたいなものなのかな??

一度、そんな話で盛り上がってみませんか。

あまり大声を出さず、
シャツがワイルドにはだけないように注意しながら・・・
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「時間の流れ」と「歳のとり方」

2008年07月24日 03:53

野茂英雄投手が引退した。

私は、野球にはあまり興味がないのだが、野茂には特別な思い入れがある。
じつは、野茂がメジャーに挑戦した当時、ニッポン放送でメジャーリーグ情報を紹介する番組のパーソナリティをしていたことがあるからだ。
その頃、野茂は本当に活躍していた。
95年にはオールスターで先発投手となり、96年にはロッキーズ戦でノーヒットノーランを達成している。
このとき、マウンド上でチームメイトにもみくちゃにされながら、不器用な笑顔を見せていたことをいまでもはっきりと覚えている。

脳裏に焼き付いているスポーツシーンはいくつもあるが、
野茂のノーヒットノーラン(一度目)はまちがいなくその一つだ。

その野茂が引退する。
そう聞くと、ああ時間は確実に流れていたんだなぁと思う。


話はものすごく変わって、昨日友人に子どもが産まれた。
大学時代からつきあいのある人で、親になることはおろか、結婚することさえ考えられないようなタイプだったのだが、結局人の親となった。

やっぱり、時間は確実に流れていたのだ。

日々生活していると、時間の流れなんてリアルに意識はしないけれど、
ふとしたタイミングで、考えさせられることがある。
連続する時間の中にできたエアポケットみたいな感じで、これまでの時間と、これからの時間を考えて、ちょっと感慨にふけったりする。
登山の途中で一旦止まり、これまでの道と、これからの道を眺めるみたいな感じだ。

最近は、いろいろな出来事がある。
別の友人からも妊娠の報告を受けたり、親戚のおばさんが亡くなったり、
会社を辞めるヤツもいれば、ちょっとした病気で入院するという友人もいる。

いろいろあると、「5年後、10年後はどうなっているんだろう」なんて考えてみたりする。

そんなテーマを考えるときは、照明が暗く、静かなクラシック音楽が流れているバーのカウンターで、丸く削った氷をカラカラと鳴らしてみたいものだが、そもそも私はお酒が飲めない。
一人でバーのカウンターなんかにいたら、手持ちぶさたで落ち着かないのだ。

仕方がないから、散歩の途中で江戸川の土手に座って考えるしかない。

20歳くらいの頃、「きっと何年か後には、行きつけのバーのお気に入りの席に座って、いい感じでスコッチかなんかを飲んでるんだろうなぁ」と思っていたが、結局そうはならなかった。

時間が流れても、変わるものと、変わらないものがあるということだ。

変わるべきものは変わり、
変わってはいけないものは変わらない。

いい歳のとり方とは、きっとそういうことなのだろう。

読書熱の波

2008年07月09日 21:52

読書熱には波がある。
とにかく本がおもしろくて、どんどん読みたくなる時期と、
まるで読む気がしない時期というのが、私にはある。

私は仕事柄ビジネス書やその他の資料を読むことは一年中コンスタントにやっているが、小説を読む機会は極端に減ってしまっている。

そんな私にときおり読書熱がやってくるのだ。
本屋のなかをふらふらしていると「クイッ、クイッ」と引っ張られるように本を買ってしまうときがある。
同じ本を目にしても、感じるときと、感じないときがあるから不思議である。
結局、読書というのも、タイミングが大事なのだろう。
そして、タイミングよく買った本は、たいていおもしろい。
そうやって、しばらく読書熱が続くことになる。

今回、私に火を付けるきっかけとなったのは、角田光代「八日目の蟬」だった。
正直に言って、「最高におもしろいよ。いますぐ読んでみて!」という小説ではない。(少なくとも、私にとっては)
でも、「ああ、小説ってこういうものだったなぁ」と、心地よく物語の世界に浸れる秀作だ。
少し雨が降っている日に、久しぶりにていねいにアールグレーの紅茶を入れて、静かな場所で、座り心地のいいイスに座って読むにはなかなかいい小説だ。
「そんな素敵な環境なら、どんな小説でも気持ちいいだろっ!」
と言う人がいるかもしれないが、それは間違いだ。

「八日目の蟬」の次に「のぼうの城」(和田竜著)を読んだが、こちらは電車のなかでゴリゴリ読みたい小説である。
天気とか、紅茶とか、静かとか、イスとか、そんなものは関係ない。
腹ぺこの時に食べるカツカレーのような味わいだ。

「のぼうの城」のような痛快な話とか、どんどん先が知りたくなるミステリーの類と、心地よく物語に浸りたい小説とは、本としてのあり方が根本的に違う。

本にはカツカレー型とアールグレー型があるわけだ。

どうしてもカツカレーというときもあれば、なんとなくアールグレーが恋しいときもある。もちろん、どちらもいらないときもある。

私の読書バランスで言えば、カツカレー3にアールグレー1くらいが、一番気持ちいい。
実際に、カツカレーを3杯食べて、アールグレーを1杯飲むのでは、胃腸がやられてしまうが、本の場合はこの割合が絶妙だ。
アールグレー型ばかりを好んで読む人もいるが、私はそのタイプではない。
やっぱり、カツカレーをゴリゴリやって、ときおりじんわりとアールグレー。
これが最高だ。

ただ、誰かと本の話をするとき、カツカレー型よりも、アールグレー型の魅力を共有できたほうが、なんとなく親密になれた気がする。
やはり、カツカレーを食べながら真面目な話はしないが、アールグレーを飲みながらなら、深い話もするということなのだろうか。

ナチュラルな仕事

2008年04月06日 16:12

3月16日に放送された「情熱大陸」で、バッグデザイナーの山口絵里子さんが取り上げられていた。
この放送で、この人のことを初めて知ったのだが、とにかく感動してしまった。
そして、いろいろなことを考えさせられた。

山口さんは、アジア最貧国のひとつであるバングラデシュでオリジナルのバッグを製作し、日本などで販売している。
現地オフィスでは現地の人たちを雇い、バッグの製作にはバングラデシュの特産であるジュートを使う。
ありていに言えば、「単なる資金援助でなく、本当の国際援助」とでも言うのだろうが、山口さんから感じる印象は、そんな大仰なものではない。
なんというか、もっとナチュラルで、ピュアなのである。

決して安全でも、安定収入が得られる場所でもないのに、なぜ、そんなところでがんばるのか。
そんなことを尋ねたら、「だって、そういうのって大切でしょ」と言われそうな雰囲気だ。

山口さんが製作を依頼している工場では、最初は4人しかいなかった従業員が、今では8倍に増えているという。
それを見て山口さんは、「前回来たときにはいなかった人が、今回新たに働いている」とうれしそうに笑う。


うまく言えないけれど、なんだかとても正しい気がする。
そして、「仕事とは何だろう?」と考えさせられる。

私の知り合いには、何年も前から世界の水問題を提起している人がいる。
これから先、水をとりまく環境がどのように変化するのか、どんな意識が必要なのかなど、水に関する話題を幅広く提供している。
ここ数年のうちに、小・中・高校生に向けた「水と国際」というテーマで授業カリキュラムをつくるという。
とても有意義で、わくわくするプログラムだと思う。

また別の知り合いには、インド旅行で根強い格差社会を目の当たりにして、自らの製作意欲が高まったという人もいる。
(ちなみに、この人はオリジナルのバッグとか、アクセサリーとか、洋服とかをつくっている)
もっとも、インドの格差社会と彼女のモチベーションがどのように関係しているのかは不明だが、「そういうことって、きっとあるんだろうなぁ」と、私なりに納得している。

自分の信念(たとえ小さな信念でも)と、仕事のベクトルがナチュラルに一致しているというのは、すばらしいことだと思う。
別に、世のため人のために働くというのではなくて、正しくナチュラルであることが、とても魅力的なのだと思う。

う~む、我ながら、何が言いたいのかよくわからないが、「そうだよね、そういうのって、わかる気がする」という人もきっといることだろう・・・

自分の小さな信念とナチュラルに一致するような仕事をする。

というわけで、今年のテーマは「ナチュラルな仕事」に決定です。
ちなみに、去年は「セクシーな1年」でした。
2年連続でいまいちよくわからないテーマだが、それがきっと私のナチュラルなのだろう。

自転車

2008年04月06日 16:10

自転車が欲しい。
そして、一度欲しくなると、街中を走っている自転車がすごく気になる。
ここ2日、たまたま朝から青山に出かける用事があったのだが、朝の青山通りには自転車で走っている人がけっこういる。
通勤に使う人、メッセンジャーなどいろいろだが、なんともカッコイイ。
自転車がカッコイイと思っちゃったら、自動車なんて『毒ガス野郎』にしか見えない。
BMWのクーペが颯爽と246を駆け抜けようと、知ったことではない。

私はよく、タリーズとか、スタバにノートパソコンを持っていって仕事をする。
今は主に『毒ガス野郎』で行っているが、これからはアーバンな風を受けていきたいと思う。
もっとも、私はアーバンなエリアに住んでいるわけではないが、自転車に乗れば、必ずアーバンな風が吹く。必ずである。

ああ、きっと、近いうちに自転車を買ってしまうんだろうな。
そして、ちょっといい感じのメッセンジャーバッグか、リュックとかも買っちゃうんだろうな、と思っている。

自転車っていいよね。